松原最終講評

東北大の院生のみなさん、どうもお疲れさまでした。
松原弘典です。


毎年このスタジオが終わると複雑な気持ちになります。みなさんが膨大な手間をかけて作業をすすめたことがわかるのはうれしいものですが、その際の問題設定というか、労力の割き方を誤ると膨大な手間がそのまま膨大な無駄に終わってしまうということがありありと見えてしまうからです。もちろんうまくいっている場合もあります。しかし設定を誤ると、労力をかけた分むなしさも募る。


これは社会に出ても同じです。ほとんどのプロジェクトにおいて、いかに労力を割いてもそれが施主の文脈に乗らないと、それは流されていってしまう。もちろん大文字の建築の歴史に残っているのは、そういうものから外れた、計画案や紙の上のアイデアや建築家が自分のためにつくったものも少なくないということを理解したうえで、それでもやはり、建築を「実現」してゆくには、施主の文脈なり、課題で労力をかけるべき問題を正確に設定して、それからジャンプしないといけない。とくにこのスタジオのような、規模が大きく、グループワークで、かつ不確定な要素の多い外国の敷地、となると、ジャンプの前の目標設定は大変重要だと思います。そしてそれはそのまま教える側の問題でもあります。みなさんジャンプは若さにまかせて飛べる、そうすると教員の側が文脈や問題の設定の段階でいかにうまく導くかはとても大事だと思う。今回小野田先生も私も最善を尽くしたつもりですが、みなさんにはどう見えたでしょうか。なまじ我々教員の側が試されているように感じるのも、終わった後の私の複雑な感情に輪をかけているように思います。


今年は、課題が面白かったと思う。具体的な場所があり、それはありふれた風景(都市の中の工場)で、しかもクールでした(使われなくなった工場)から、イメージしやすかった。


講評会でも述べましたが、今回最も求めらたれたことは、もちろん建築の設計案なんだけれど、それを通してみなさんが「時間」というものに対してどういう態度をとったか、ということだったと思います。工場の改築で、大規模に古いものが残っている。ここに堆積した「時間」を尊重するのかもう少しドライに扱うのか。去年の洛陽のような「時間」(地下7m深さのところに1000年以上前のものが埋まっている)よりも、具体的(地上に見えている)で軽んじても構わないような(壊れていて、せいぜい一番古くて90年前の建物)「時間」をどう扱ったかです。


古い「時間」を教条的に残すこともできたし、新旧の「時間」を記号的に等価に扱うこともできた。センチメンタルに「時間」の保存を叫んでもよかったし、ドライに整理整頓するのもありえた。そういう立ち位置を明確に意識したプレゼンはあまりなかったんだけれど、通底する問題はそこにあったなあと、みなさんの発表を聞きながら思っていました。
 途中で清華大学の中間チェックに行ったときにそのことをかなり具体的に感じたんでした。3Dのモデリングを巧みにあやつって、それなりの言葉をつけながら話を組み立てられる中国のエリートたちの手つきを見て、ものすごく建築を気軽に扱っていると思ったんでした。新築も改造も等価、木を切るのも既存の壁を撤去するのも新しく壁を立てるのと等価。まあそういうドライな(無邪気な)態度もありかもしれませんが、やはりもう少し、そこにそういうものがいままで残ってきた経緯に対して敬意を払う必要がある、と思ったものです。設計作業の電子化は物質の重さや輝きをすべて等価にならしてしまう。よっぽど気をつけないと私たちはこの電子化の便利さによって物質の重みを忘れてしまうわけです。


あと、もう1つ今回の課題で求められた重要なことは、グループワークをどう実現したかだったと思います。これは私より学生のみなさんのほうが分かっているでしょう。この課題は設計範囲も広く、かつ工場建物のどこまでを残してどこまでを新開発するかも自由でしたから、各人の作業範囲はほとんど無限の組み合わせが可能でした。そこから考えなくてはいけないということで、チーム内でどういうコンセンサスを得て、どのように仕事を分配するか、その決定が最終成果物のレベルをかなり決めてしまったと言えます。いやー難しいもんです。あなたと一緒にやる人はあなたよりもできない人かもしれない。他者に常に関わらなければものを作れないという、学校の課題では普通あまりありえない状況だったわけですから、大変だったのではないでしょうか。


以下、4チームそれぞれについて、上記の2つにそって思ったことを書きます。やや長いですが、読んでみてください。


●劇団4人
力技の4人。最後にかなり具体的な部分模型を製作して劇場空間としてのリノベーション像を具体的に示した。チーズのようにボリュームを欠き取るという操作を共通テーマにして工場全体の改造を図るというストーリーも明快。かなりの力技を発揮できたわけで、そういった意味では力の集中点を明確にし、みなで協力してやった楽しさが伝わってきた。
 ただ、惜しむらくは、これは講評会でも言ったことだけれど、劇場を使用するというハレの状況はうまく描けていたが、劇場として使っていない時のケの状態のイメージが見えなかったという点に不満は残る。それともディズニーランドのように雇われたキャストがいて、四六時中ハレを演出している場所なのか。そうだとすると「時間」もその雰囲気を高める道具の一つとしてもっと記号的に扱われることになったのではないか。あるいはやはりある祝祭的なときにだけ劇場使用されるのであれば、その状態をプレゼンテーションしないといけなかったし、そのとき「時間」はもう少し深刻なものとして現れてきたはずではなかったか。
 もう1つ、大学院生として設計案をデベロップするなら、やはりあの全体模型とジオラマ部分模型の2つの間の、もう少し中間的なスケールでのスタディがあるともっと良かったと思う。欠き取り、という操作をもう少しエンジニアリング的に検討できればよかった。それは耐力壁の増設であり、上下コアの新設であり、ホールの隔音壁であり、視線を特定の方向に向ける装置になりえたはずである。そのあたりもっと技術的な裏付けの絵があれば、雰囲気で強引に持っていく巨大部分模型がなくてもより深みのある案になったと思うけど。最後に安全な方の力技に走ったわけですな。
 まあとにかく力作。いい意味でも悪い意味でも。力作ができるというのは、チームワークを束ねる力があり、体力があるということです。それはそれで大事な建築家の一部分の能力ですから。


もざいく
今にして思うと、最終形をなかなか思い出せない案。それはなぜでしょうか。やはり案が、迫力に欠けた部分があったからだと思う。ぱっと一言で思い出せない。モザイクというタイトルの通り、そのタイトルがそのままヴィジュアルとして案の中に実現されていれば、印象も違ったと思うんですが…。
 このグループは中間講評は一番よかったと記憶しています。それは早い段階でチーム内の合意を形成し、各自の案を出していたので、他と比べて途中段階での提案が具体的だったからでしょう。しかしこうやって最後に他のグループの作業ができてきた段階で比べてみると、その「早期の具体性」はかすんでしまった。むしろその「早期の具体性」が結果的にこのチームの最後の完成度の足を引っ張ってしまったのではないでしょうか。つまり、早々に分担を決めた後、やはり常にこういうことは全体と部分の間を往来しないといけないのだが、このグループは早めに分担がうまくいってしまったためにこの往来が手薄になったのではないか、という印象を受けました。中間から進んだことは各自の案の深化のみであり、全体の枠組み自体に疑義は呈されずデベロップもない。チームワークの難しさを見た気がします。個別にみればうまくできている人(もできていない人)もいる。しかし全体がだめだと、部分は輝かない。やはり、自分の案をよくしたかったら、自分から全体をよくしていくようなリーダーシップを発揮しないとだめだ、ということですね。
 「時間」についてはどうだったか。個別の建築的アイデアの中には古いものと新しいものを対比的に並べようとか、古い建材を具体的にこう使おうとか、提案はあったと思いますが、それがばらばらだったので弱い印象しか残らなかった。結果的にグループとして、「時間」に興味がなさそうに見えてしまっていたと思います。


●磊千直虹
結果的に完成しませんでしたが、「時間」というものに対して一番正面から取り組もうとしていたチーム。古い工場が持っていた隙間を新しい建物によって踏襲させようとした。古いものは大事であるというやや教条的な立場から抜け出すのに時間がかかりすぎ、しかも結局その態度を捨てるかとるかチーム内で合意がとられておらず、発表もうまくいかなかった。あなたたちが反省すべきは、設計の内容という以前に、古いものへの態度をどうとるか早く決められなかったことに対してです。設計の能力はまだまだこれから伸びますが、古いものへの態度云々は中学生だって議論できるはずのトピックです。そのポイントを外し、延々とすれ違いのグループワークを重ねてしまった。
 ローマの「ハドリアヌスのヴィラ」が柱の跡を残すことで遺跡公園足りえているように、この工場だって、空き地や構造跡を残すことで建物を全部残さなくても新しく再生できる、というところに集中して各自が設計をしていけばよかったんじゃないか。建物を残す、基礎だけ残す、全部取り除く、の3グレードを早めに全体で決めてとりかかれば、もっと面白いものになったんじゃないかと思うことしきりです。
 それから、途中でつぶれそうな人がいる場合は、さっさと手をうたないとだめです。来るかもしれないなどと思わず、広場にするとかいろんな対応の仕方があったはずです。発表2日前くらいにまずいと思ったら、残りの全員でなんとかするしかないんです。これが実務だったら、担当が休みなのでここはできていません、なんて言えないですよ。設計エリアに空白ができてしまったのは欠席者1人のポカではありません。いまから「何事もなかったように」なんとかまとめてください。


●BORDERS
共通して図書機能をみな付加して、図書館以外に菜園やホテルやギャラリーを作っていた案。図書機能うんぬんはあまり見えなくなっていた気もするがそれはそれでいいと思う。このグループがよかったのは、具体的な建物の改築後の像が見えるようなプレゼンテーションであり、かつその像が、古い建物のこの部分をこう残してこう使っている、という具体的な細部のアイデアまで考えられていたところにある。だから見ていて実際の様子を想像したくなるし、いろいろ意見を言いたくなる。思考の共通のベースになるような設計案になっていて、そのことは結局、彼らがグループワークをしたときにもきっとやりやすかったに違いないと思わせる説得力がある。発表も各メンバがバトンを渡すような形式で、使用者目線から案を紹介しており、大変好感がもてた。
 テクスチャやマテリアルのレベルまで話がおちてきているので、とても面白かったし、古いものの物性を適度に利用し、過度にセンチメンタルにならず、また過度にドライにもならず、知的な態度で「時間」というものに接していたのもよかったですね。


以上が講評です。どうかあとはうまく各自のポートフォリオをまとめてください。


TAの浮田さんもご立派でした、どうもありがとう。


みなさん来学期は国際ワークショップがあると伺っています。今年はまた中国だとか。大変ですね。もううんざりですか?それでもしばらくいると中国でもあなたにとっての面白さが見つかるかもしれません。
私がお伝えした3つの教えを覚えていますか。
1.自分から話せ、2.手を動かしながら考えろ、3.後悔するな
です。


またどこかでお会いできるかもしれません。ご活躍を。


松原弘典/北京